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2004年12月
12月ともなると、街中に華やかなクリスマスの飾りつけがあふれます。
クリスマス・メロディーがそこかしこで流れ、クリスマスプレゼントを当て込んだ
さまざまな商品が店頭にところ狭しと並びます。
・・・なぜ、クリスマスを喜び祝うのでしょうか?
今から約2000年も前のある時、野で羊の番をしていた羊飼いたちの前に、
天使があらわれて告げました。
すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。
(中略)あなたがたのために救主(すくいぬし)がお生まれになった。
(新約聖書 ルカによる福音書 第2章11・12節)
数千年前から約束されていた救世主が、いよいよこの世に生まれたのです。
イエス・キリストは何のために来られたのでしょうか?
その答えは、「死ぬため」です。
人間が生まれながらに持っている「罪」の性質をゆるすために、身代わりに
なって死ぬ。しかも、十字架刑という最も過酷な死を遂げるのです。
しかし、それによって人は罪がゆるされ、罪と滅びから開放され、永遠の生命
を受け継ぐことができるようになりました。
ただ「信じる」ならば、この「すべての民に与えられる大きな喜び」を受けとる
ことができるのです。
【心から、祈ってみましょう。】
「イエスさま、あなたがわたしの罪の身代わりになるためこの世に来て下さったことを信じます。わたしの罪をゆるして下さい。そして大きな喜びで満たして下さい。
イエスさまのお名前によってお祈りいたします。」 |
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2004年11月
死にたいと思ったことはありますか。
日本では、毎年3万人以上もの人が、自殺により命を捨てています。
でも、ちょっと考えてみて下さい。
「死んだら楽になる」という保証はありますか。
それは、ただの思い込みに過ぎないのです。
一度だけ死ぬことと、死んだ後にさばきを受けることとが、人間に定まっている
(新約聖書 ヘブル人への手紙 第9章27節)
と聖書に書かれています。人間を創り、命をつかさどっておられる神さまが、そ
のように定めているのです。自殺という「殺人」で人生を終えた時、平安な死後の
世界が待っているでしょうか。いいえ。自殺したいような苦しみよりも、もっと過酷
な苦しみが待ち受けています。そして、そこから戻ってくることはできないのです。
では、苦しい時、つらい時、どうしたら良いのでしょうか。
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう。(新約聖書 マタイによる福音書 第11章28節)
と言われたイエス・キリストに、すべての解決があります。
死から命へ、闇から光へ、絶望から希望へ、悲しみから喜びへ。
人間一人ひとりを目的をもって創られ、命を与えておられる神様だけが、本当
の解決を与えることができるのです。
【心から、祈ってみましょう。】
「イエスさま、わたしはあなたを信じます。
あなたはわたしの苦しみを皆知っていて下さいます。どうか、助けて下さい。そしてわたしの罪をゆるしてください。イエスさまのお名前によってお祈りいたし
ます」 |
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2004年10月
イエス・キリストは、
あなたをとても愛しておられます。
あなたのすべてを知っておられます。
あなたが滅びないことを望んでおられます。
あなたの罪の身代わりに、十字架につけて殺されました。
それによって、あなたの罪をゆるすことができます。
そして、死んで3日目に復活し、今も生きておられます。
あなたの病気をいやすことができます。
あらゆる問題を解決する力を持っておられます。
あなたののろいを取り除き、祝福を与えることができます。
あなたのあらゆる必要にこたえることができます。
あなたに永遠の命を与えることができます。
見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を
聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と食を共にし、
彼もまたわたしと食を共にするであろう。
(新約聖書 ヨハネの福音書 第3章20節)
もしあなたが望むなら、イエスさまはあなたの心の中に入ってきて下さいます。
そして、あなたの人生を通じてはたらいて下さいます。
あなたが自分の意思で、心の戸を開くのを、じっと待っていて下さいます。もし
あなたが受け入れないのならば、そのはたらきを見ることはできません。
ほんとうの人生へ、一歩踏み出しませんか。
【心から、祈ってみましょう。】
「イエスさま、わたしはあなたを心の中にお迎えします。わたしの罪をゆるし、わたしの人生の中にお働き下さい。そして最高の人生を歩ませてください。
イエスさまのお名前によってお祈りいたします。」 |
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2004年9月号
ものすごい風の台風が通り過ぎました。
観測史上最大風速を記録し、札幌市内だけで何千本もの樹木をなぎ倒し、亡
くなられた方、怪我をされた方も多く、住宅や車の被害も多数でした。
自然災害のみならず、日本各地で殺人、強盗、暴力などのニュースが聞かれな
い日はありません。かつて治安のよさを誇った日本も、今はどうでしょう。
ロシアでは飛行機は爆発され、小学校では多数の子供たちが犠牲になる事件
が起こりました。世界各地で紛争が続き、多くの犠牲者が出ています。
イエス・キリストの時代、支配者が住民を殺し、崇拝する神々にその血をささげた
という事件が起こりました。それについて、イエスさまは、こう言われました。
それらのガリラヤ人が、そのような災難にあったからといって、他のすべての
ガリラヤ人以上に罪が深かったと思うのか。あなたがたに言うが、そうではな
い。あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう。
(新約聖書 ルカによる福音書 第13章2、3節)
「こんなひどい事が起こるなんて。神さまなんていない証拠だ」という方もいます。
しかしそれは勘違いです。事件や事故、災害は神さまが起すものではありませ
ん。人間が神さまから離れた生活をしているため、自然も犯罪者も好き勝手な活
動をしているのに過ぎません。
でも、人が神さまを受け入れ、自分の罪を悔い改めるならば、それらの出来事の
中でも守られます。神さまには、地震も台風も銃弾も防ぐ力があります。
そして、神さまの定められた時に天国に入ることができるようになるのです。
【心から、祈ってみましょう。】
「イエスさま、わたしは神さまから離れた者でした。あなたを受け入れ、自分の罪を悔い改めます。どうぞむなしく滅びることが無いように、あらゆる災いからお守りください。イエスさまのお名前によってお祈りいたします。」 |
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2004年8月号
人は死んだらどうなるのでしょうか。
神様になるのでしょうか。仏様になるのでしょうか。ご先祖様として子孫を見守る
者になるのでしょうか。それとも、人の存在は死と共に全く消えうせてしまうので
しょうか・・・。
人はみな、なぜか死後のことを考え、永遠のことに思いを馳せます。聖書には、
神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。
(旧約聖書 伝道の書 第3章11節)
と記されています。人間を創造し、霊と心と体を形づくられた神さまが、人間をそう
いう者とされたのです。
そして、その同じ神さまが、聖書を通して語っておられます。
一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっている
(新約聖書 ヘブル人への手紙 第9章27節)
だから、本能的に死を恐れます。それで、なるべく考えないようにしているのです。
罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・
イエスにおける永遠のいのちである。(新約聖書 ローマ人への手紙 第6章23節)
テストや仕事、結婚や出産などのためにはあらかじめ準備をしておきますね。
地震や水害などにもちゃんと備えをします。必ずやってきて、一度しかなく、やり直
しのきかない「死」のためには、どんな備えができていますか。死後のお世界は永遠
なのです。おろそかにすべきではないのです。
備えは、できていますか?
【心から、祈ってみましょう。】
「イエスさま、わたしは死を恐れています。
イエスさまのことがわかって、死の恐れか
ら解放され、永遠の命を授けることができ
るように導いてください。イエスさまの
お名前によってお祈りします。」 |
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2004年7月号
人間が生きていくためには、食物と空気が欠かせません。しかしこれは、「体」の
ため。人間の「心」のためには、愛とゆるしが必要です。
毎年、日本だけで3万人以上の人たちが、自殺で亡くなっています。経済的に豊
かでも、社会的な地位があっても、名声を博していても、それだけでは生きてゆけ
ません。愛とゆるしがないと、生きる力を失ってしまいます。
愛されていることを実感できないと、人を愛することができません。
ゆるされていることを実感できないと、人をゆるすことができません。
愛すること、ゆるすことができないと、生きていくのがつらくなります。
・・・あなたを深く愛して、ゆるして下さっているのが、イエス・キリストです。
人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない
(新約聖書 ヨハネによる福音書 第15章13節)
イエスさまは、あなたを「愛する友」として、あなたのために命を捨てました。
あなたが背負ってきた人生の「重荷」、「罪」をみな引き取って、あなたの身代わり
に十字架にはりつけになり、殺されることを受け入れました。
父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです
(新約聖書 ルカによる福音書 第23章34節)
自分をのろい、あざけり、はりつけにしている人たちのために、祈りました。
ほんとうの愛が、ゆるしが、ここにあります。
イエス・キリストを信じ受け入れるとき、この愛とゆるしがあなたのものとなります。
そして人に対しても愛し、許すことができる心へと、変えられていくのです。
【心から、祈ってみましょう。】
「イエスさま、あなたがわたしを愛し、ゆるし、わたしのために命を捨てて下さったことを信じ受け入れます。あなたの愛とゆるしをわたしの心に満たしてください。イエスさまのお名前によってお祈りします。」 |
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2004年6月号
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田中 政男(たなか まさお) 氏 |
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全日本リバイバルミッション副主幹。静岡県で3つの教会の牧師を
務めている。日本を愛し、日本人を愛して、全国を巡ってイエス・キ
リストの愛を伝えている。数年前北海道滞在中に脳出血で倒れ、
半身と言葉に障害が生じたが、本人及び、周囲の熱い祈りによって
驚異的な回復を遂げ、再び北海道へとやって来る。 |
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| 札幌ペンテコステ教会に、この7月、すばらしいゲストを迎えます。札幌市内の集中治療室(ICU)から、文字通り「生還」し、元気に活躍されている田中政男氏です。 この度、静岡県からきていただきます。おもしろくてためになるお話を聞くことができます。喜びと力が湧いて来ます!笑いと涙の熱血伝道者、田中政男先生のメッセージを通して、イエス・キリストの愛を知り、心も体も癒された人が、世界中に大勢おられます。 |
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(来会は無料ですが、各集会で自由献金があります)
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2004年5月号
わたしは、いったい、どこから来たのでしょうか。
父と母が偶然出会い、たまたま生まれたのが、「わたし」。
先祖代々、そんな偶然が積み重ねられて、たまたま存在している「わたし」。
何十億人もいる人間の中に埋もれて、生きている意味なんてないような「わたし」。
わたしは、いったい、どこへ行くのでしょうか。
毎月毎月、同じような単調な生活。
日々の生活に追われ、気がついてみると、5年10年と年月だけが過ぎている。
老いて、やがて死んでいくだけの「わたし」。
わたしが生きる意味って、・・・? 失われている、「わたし」。
どこから来て、
どこへ行くのか?
人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである。
(新約聖書 ルカによる福音書第19章10節)
この「人の子」とは、イエス・キリストのことです。
どんな人にも、一人一人に活きる意味があります。一人一人の魂を作られた神さまは、
一人一人を貴重な愛すべき存在として見ておられます。一人一人のために、生きがい
と喜びに満ちた、価値ある人生を用意しております。
「わたし」が神さまに背を向けていたことを認めてお詫びをし、心を新たにするとき、
わたしの生きる意味が明らかになります。日々の生活が、無意味ではなくなります。
そしてこの地上の生涯を終えた後に、天国で永遠の生命をいただくのです。
【心から、祈ってみましょう。】
「天地を造られた神さま。わたしはあなたに背
を向けた、失われた存在でした。お詫びしま
す。イエスさまに救っていただき、本来の人
生の歩みができるようにお助けください。
イエスさまのお名前によってお祈りします。」
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2004年4月号
今年は4月11日が、イースター(復活日)です。(月の満ち欠けによる決めるので毎年違います。)
イエス・キリストは、十字架にはりつけられて、死にました。
本当に死んだことを確かめるため、槍で脇腹を突き刺されました。
死が確認された後に、墓に葬られました。
イエス・キリストは、しばらく前から、周囲がまだそんなことを思いもしなにうちから、
「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、
また殺され、そして三日目によみがえる」。 (ルカによる福音書 第9章22節)
と弟子たちにあらかじめ語っていました。そしてほんとうに、その通りによみがえったのです。
よみがえった後に、500人以上の人たちと会い、話をし、食事を共にしました。
復活後40日たって、皆の見ている前で、体ごと天に昇って行きました。
イエス・キリストの
死と葬りと復活
復活のイエス・キリストに出会った人たちは、復活が真実であることを、命を懸けて
世界中に伝えました。ある人は切り殺され、ある人ははりつけにされました。それでも
イエスさまの復活が事実であることを言い続けて止めませんでした。
イエス・キリストの十字架は、人間ひとりひとりが生まれながらに持っている「罪」を
ゆるすためでした。罪のないキリストが、罪に満ちた人間の身代わりとなって死んで
下さったのです。そのことを信じるなら、わたしたちの罪はゆるされます。
5月から、イエス・キリストの死と葬りと復活を描いた映画「パッション」が公開され
ます。あまりにもむごたらしく、ショック死した方もいるという映画ですが、イエスさまの
犠牲の大きさ、ゆるしの愛の大きさを知ることができるでしょう。
【心から、祈ってみましょう。】
「イエスさま、わたしの身代わりに十字架で
死んでくださったことを信じます。わたしの
罪をゆるし、永遠の命を与えてください。
あなたの愛を深く知り、新しく生まれ変わ
らせて下さい。」
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2004年3月号
神さまは、いるか、いないか、どちらかですね。
『神があるという方に賭けたなら、わたしは神を信じて、希望ある充実した一生を送る
ことができるだろう。もし、神がある方に賭けて、神がいなかったとしても、わたしは何もの
をも失わない。(中略)もし神がいない方にかけて生きたとしたら、(中略)一生を浪費す
ることだろう。そして最後に神がおられるということになったとしたら、(中略)自分は、
どうやって神の前に出ることができるだろう』 (三浦綾子著『道ありき』より)
・・・・三浦綾子さんが、神さまを信じる前に思ったことが書かれています。
あなたは、どう思われますか?
『わたしはあなたの
神である』
恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。
驚いてはならない、わたしはあなたの神である。
わたしはあなたを強くし、あなたを助け、我が勝利の右の手を持って、
あなたをささえる。 (旧約聖書 イザヤ書第41章10節)
聖書にしるされている神さまは、ずっと昔から、ご自分が神であることを宣言していま
す。そして今も語りかけてくださっています。あなたが心を開くなら、それがわかります。
さらに、この真の神さまは、あなたが生まれる以前からあなたを知り、愛しておられるの
です。あなたが真に生きる力、喜び、命を与えることができる方なのです。
誰でも、どんな人をも、愛し、ゆるす力のある神さまなのです。
【心から、祈ってみましょう。】
「天地を造られた神さま、わたしは心を開いて
あなたを信じ受け入れます。どうぞ希望ある
充実した一生を与えて下さい。イエスさまに
よるゆるしと救いがわかり、永遠にいのちを
得ることができるようにお助けください。」
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2004年2月号
「救い」とか「救済」とは、何でしょう?
「信じる者は救われる」という話は、よく聞くのだけど・・・。
聖書には、イエス・キリストを信じるならば救われる、と書かれています。この「救い」は
『罪のゆるし』と、『永遠のいのち』です。
人間は、一人一人みな良いもの、すばらしいものを持っています。しかし同時に、「罪」
を持って生まれてきます。「自己中心」は、誰にも教えられないのに、小さな子どものうち
からちゃんと持っています。
人には、一度死ぬことと、死んだ後にさばきを受けることが定まっています。死ぬことが
怖いのは、本能的に死後のさばきを予感するからです。しかし、イエス・キリストには罪を
取り除き、ゆるす力があります。ゆるされた人はさばきをまぬがれ、永遠の命が与えられ
ます。これが、「救い」です。
この人による以外に救いはない。わたしたちを救いうる名は、これを別にして
天下のだれにも与えられていないからである。(新約聖書 使徒行伝 第4章12節)
この人による以外に
救いはない
慈善事業をたくさんして、周りの人たちに親切にしても、盗みをすれば逮捕され、裁判
にかけられて処罰されます。同じように、たとい良い人であっても、「罪」を持ったままで
は、さばきを受けなければなりません。
しかし、イエスさまが罪をゆるす力を持つ方であると信じ、心に受け入れるならば、そ
れだけで救われます。修行などをしても、自力で救いを手にすることはできません。
底なし沼でどんなに努力しても、沈むばかりです。上空から引き上げてもらうしかない
のです。
【心から祈ってみましょう。】
「イエスさま、あなたが罪をゆるす方であると
知りました。信じたいと願います。信じる力を
与えてください。そして、罪をゆるし永遠のい
のちを与えてください。喜びと希望を与えて
ください。」
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2004年1月号
2004年、新しい年がやってきました。
新しい年に向けて、どんな思いを抱かれているでしょうか。
希望や期待でしょうか。不安な恐れであったりするかもしれません。
わたしたちは、過去に戻ることはできません。
過去の出来事を消し去ることも、やり直すこともできません。
また、良い思い出の中にいつまでもひたっているわけにもいきません。
今のわたしたちにできるのは、前に進むことだけです。
この新しい年に、新しい気持ちで、生まれ変わったような気持ちで、一歩踏み出すことはできないで
しょうか。
誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った。
見よ、すべてが新しくなったのである。(新約聖書 コリント人への第2の手紙 第5章17節)
古いものは過ぎ去り、
全てが新しくなる
「キリストにある」とはイエス・キリストを自分の「主」と信じて、信頼していくことです。
イエス様を信頼する人は、失望に終わることがありません。
イエス様には、わたしたちの過去にはたらいて、良いものへと変わらせる力があります。
イエス様には、今現在の人生を新しくし、正しく導く力があります。
イエス様には、来るべき将来の夢と希望を与え、それを実現される力があります。
そして何より、わたしたちの罪をゆるし、永遠の命を与える力があります。
イエス・キリストの十字架と復活とが、その保証です。
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。
門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。(新約聖書 マタイによる福音書 第7章7節)
あまたを愛しておられる神さまは、あなたの求めに応じてくださいます。
【心から、祈ってみましょう。】
「イエスさま、あなたはわたしを新しく造り、新しい
一歩を踏み出せるようにしてくださる方である、
ということを読みました。
わたしはあなたを信じ、『主』として信頼します。
どうぞ、わたしに将来と希望とを与えてください。
罪のゆるしと永遠の命を与えてください。
イエス様のお名前によって、お祈りいたします。」
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