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2005年
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2005年12月

クリスマスが近づいてきま
した。
クリスマスは、
「イエス・キリストの誕生を
祝う日」
です。
イエスさまがこの世に来たの
は、神さまがあなたを愛して
おられる証拠。
 神さまからのラブレターである「聖書」に詳しく
書いてあります。そして、教会ではそのお話が聞けま
す。

 クリスマスは、全世界のための喜びの日、めぐみに
満ちた日なのです。

 教会で、神さまの愛に
ふれてみませんか。
きょうダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。

(新約聖書 ルカによる福音書
           第2章11節)
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2005年11月

  何か困ったとき。重大な困難に直面したとき。何かにすがりたいと思ったことは
 ありませんか。

  経済的なこと、仕事のこと、家庭のこと、人間関係、自分の性格、健康のこと・・・。
 問題の内容に応じて、それぞれ頼りになる人が周囲にいるかも知れません。でも
 内容によっては、周囲の誰も力になることが出来ない事もあるでしょう。

  そんな時は、どうしますか。「苦しいとき(困ったとき)の神だのみ」というのはイヤ
 だから、何とか自分で耐えて乗り越えようとがんばりますか。
  悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめ
  るであろう。                
 (旧約聖書 詩篇 第50篇15節)

  こう言って下さる方がいます。天地を造られ、またあなたをも造られた、創造者で
 ある、聖書に書かれている神さまです。
  条件は多くありません。財産も、体力も、名声も不要です。ただ、自分の心の開け
 渡し、イエス・キリストがあなたの救い主、問題を解決することの出来る方である
 ことを受け入れるのです。今まで神さまを無視して生活してきたことをお詫びする
 ならば、ゆるされ、新しい歩みを始めることができるのです。

  困っているときも、解決を与えてくださいます。困っていないときにも、更なる祝福
 を与えて下さいます。

 イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変わることがない。
                       (新約聖書 ヘブル人への手紙 第13章8節)
 


 
 問題の中にある「今」から始めて、問題が過ぎ去った後にもキリストとの関係を
 持ち続けることができるなら、幸いです。
【心から、祈ってみましょう。】

「イエスさま、あなたがわたしの問題を解決できる方であることを信じます。罪をお詫びし、わたしの心をあなたに明け渡します。どうかわたしをゆるし、また困難の中から助け出して下さい。イエスさまのお名前によってお祈りいたします。」
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2005年10月

 むかし、ソロモンという名の王がいました。

 様々な快楽を得、酒を楽しみ、大きな事業を成し、多くの財宝を得、多種の学問
に通じ、国民にも外国の諸侯にも尊敬されました。珍しいもの、美味しいもの、美し
いもの、その他自分が好むものは、すべてを手にしました。

 その王が、「すべてはむなしかった。」と記録しています。一時的に楽しみ、喜び
は得るけれども、結局のところむなしいものであったと感じたのです。

 そして世の中のいろいろな出来事を見、熟慮し、祈り、達した結論はこうでした。
 あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、
「わたしには何の楽しみもない」と言うようにならない前に
                   
 (旧約聖書 伝道の書 第12章1節)

 事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。
これはすべての人の本分である。

                       (旧約聖書 伝道の書 第12章13節)
 


 
天地を創造され、わたしたち一人ひとりを愛をもって造られた天の神さまを信じ、
従うこと。これが人間のあるべき道だと、わかったのです。

 この神さまは、あなたを愛するがゆえに、イエス・キリストをこの世に送られ、あなた
が天国に入るために障害となるすべての罪けがれを取り除かれました。あなたが
なすべき事は、この事実を受け入れ、信じることだけです。
 若ければそれだけ幸いですが、年が進んだ方でも遅すぎることはありません。
 誰もが通る人生の終点、「死」が来る前に決断することが、重要なのです。

【心から、祈ってみましょう。】

「イエスさま、あなたがわたしの罪の身代わりに死んで、わたしが新しく生きるために復活して下さったことを信じます。あなたの十字架によってわたしの罪をゆるし、永遠の命を与えて下さい。イエスさまのお名前によってお祈りいたします。」
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2005年9月

 実りの秋がやってきました。

 穀物や果物が、各地の畑で豊かに実る秋です。毎日毎日の手入れや、台風へ
の備えなどを経て、やっと迎える収穫です。おいしい良い実もあれば、傷んだ悪い
実もないわけではありません。

 わたしたちの「人生の実」は、どうでしょうか。

 人生の実とは、何でしょう。財産、実績、子どもたち、健康、名声、地位・・・。実と呼べ
るようなものがたくさんありますよね。

 聖書には、このように書かれています。
 御霊(みたま)の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制
                   
 (新約聖書 ガラテヤ人への手紙 第5章22・23節)

 「御霊」とは、神さまの霊のことです。人間は、自分の努力や修行では、このような
実を結ぶことはできません。各人の能力によって、ある程度身に付けることは可能
ですが、「実を結ぶ」までには至らないのです。

 これらの「実」は、天地を造られた神さまからのプレゼントとして与えられるもので、
す。人類に約束された救い主、イエス・キリストを、自分の人生の主として心に迎え
入れるとき、このプレゼントをいただくことができ、さらに罪のゆるし、永遠の命を受
けることができるのです。

  求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすで
  あろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。

                       (新約聖書 マタイによる福音書 第7章7節)
 

【心から、祈ってみましょう。】

「イエスさま、あなたを人生の主としてお迎えいたします。わたしを新しくし、豊かな実を結ぶ人生を与えてください。またあなたの十字架によってわたしの罪をゆるし、永遠の命を与えてください。イエスさまのお名前によってお祈りいたします。」
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2005年8月

 人間は、生まれながらに罪の性質を持っています。

 悪いことは、教わらなくてもすぐに習得します。幼くても、けんか、悪口、いじめ、自
己中心、反抗など、身に付けていきます。一方で、良いことは、生活習慣、親切、て
いねいな言葉、協調性など、なかなか身に付かないものです。

 悪い部分をひとつひとつ、親のしつけや本人の努力、社会生活などを通じて直
していくわけですが、それで完全に罪のない「よい人」になれるわけではありませ
ん。むしろ、年齢を重ねるごとに、罪の性質も増してくるという現実もあります。
 または、罪に無感覚になっていくのかも知れません。

 底なし沼にはまってしまった人が、自力では脱出できず、誰かの助けを必要と
するように、人間が罪の性質から脱出するためには、助けが必要です。努力して
も修行を積んでも、ダメなのです。

 罪から助けることができるのは、ただ一人、イエス・キリストだけです。誰でも、個
人的に、キリストに語りかけ、罪のゆるしを求めるならば、ゆるしていただけます。
なぜなら、キリストがあなたの身代わりになって、すでに罪の刑罰を受けて下さっ
たからなのです。

 御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである。
                       (新約聖書 ヨハネの第1の手紙 第1章7節 後半)


 今すぐに、心をイエス・キリストに向けてみましょう。人間が創造された初めから、
キリストの十字架の死と、葬りと、復活と、それによる人類の救いとが定められてい
たのですから。
 

【心から、祈ってみましょう。】

「イエスさま、わたしの罪をゆるして下さい。泥沼の中から救い出してください。あなたがわたしのかわりに罰を受けて下さったと信じます。
イエスさまのお名前によってお祈りいたします。」
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2005年7月

 「困った時の、神だのみ」という言葉があります。
普段、何も信心らしいことをしていなくても、いざ困った事態になると神仏にたよっ
て何とかしてもらおうという様子を表しています。そういう経験はありませんか。

 「おぼれる者はわらをもつかむ」とありますが、おぼれている時、水面に浮いて
いる「わら」を一生懸命つかんでも、何の役にも立ちません。

 ほんとうに苦しい時、つらい時、困った時には、たよりがいのあるところ、本当に
助けになるところに頼るのでなければ、その状況から脱出することはできません。

 わたしに呼び求めよ、そうすれば、わたしはあなたに答える。そして
あなたの知らない大きな隠されている事を、あなたに示す。

                       (旧約聖書 エレミヤ書 第33章3節)

 聖書には、こう書いてあります。天地を創られた、唯一の神さまが、わたしたちに
語りかけているのです。

 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう。

                       (新約聖書 マタイによる福音書 第11章28節)


 イエス・キリストは、わたしたちの「重荷」を替わりに背負って下さいます。すべて
の状況を完全に解決する力を持っておられます。そして何より、わたしたちの罪
をゆるし、永遠の命を与えることができるお方です。
 このイエス・キリストにこそ、本当の助けがあるのです。
 
【心から、祈ってみましょう。】

「イエスさま、わたしの重荷をあなたにお渡しいたします。どうかわたしを助け、強め、救い、生かして下さい。あなたこそ頼りになるお方であることを信じます。
イエスさまのお名前によってお祈りいたします。」
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2005年6月

 北海道の6月には、花が一斉に咲き乱れ、新緑が一気に芽吹き、自然の美を
満喫することができます。

 しかし、どんなに美しい花もやがて散り、あおあおとした若葉も深い緑に変わり
秋になればやがて散っていきます。
 人間も、若く美しく力強い時期もありますが、やがて加齢とともに衰え、外見も
若さが失われていきます。
 すべてが移ろいゆくことに虚しさを感じ、淋しく日々を送る方もいますし、若さ
がすっかり失われる前に自ら命を絶ってしまう方もいます。

 「いつまでも変わらないもの」は、この世にはないのでしょうか。

 人はみな草のごとく、/その栄華はみな草の花に似ている。/
 草は枯れ、/花は散る。/しかし、主の言葉は、とこしえに残る。

                       (新約聖書 ペテロの第一の手紙 第1章24、25節)

 聖書には、こう書いてあります。「主」とは、天地を創られた、唯一の神さまのこと
です。

 イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変わることがない。
                       (新約聖書 ヘブル人への手紙 第13章8節)


 人間は、そして世の中は、どんどん変化していきます。しかし、いつまでも変わる
ことのない確かなもの、それは神さまのことばであり、イエス・キリストなのです。
 この方を「人生の土台」として生きるとき、ゆるぎない平安、変わらない喜び、そ
して罪のゆるしによる「永遠の命」が約束されるのです。
 
【心から、祈ってみましょう。】

「イエスさま、神さまの言葉とイエスさまとをわたしの人生の土台として受け入れます。どうぞわたしの罪をゆるし、平安と喜び、感謝で満たしてください。
イエスさまのお名前によってお祈りいたします。」
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2005年5月

 「どうしてもゆるせないこと」があるでしょうか。

 友人の一言がゆるせなくて、友情が壊れることがあります。愛し合って結婚した
はずのカップルが、破局に至ることもあります。
 ひどいことを言われた、ひどい仕打ちを受けた、殴られた、車をぶつけられた、
ということもあるかもしれません。突然の事件や事故に巻き込まれて、「なぜ、どう
して?」と怒りに震えることも無いとは言えません。
 事の重大さはいろいろですが、わたしたちは多くの怒り、悲しみを感じつつ、毎
日の生活を送っているのではないでしょうか。

 ゆるしてやれ。そうすれば、自分も許されるであろう。
                       (新約聖書 ルカによる福音書 第6章37節)

 聖書には、こう書いてあります。
 どんなに誠実でまじめに見える人でも、人間はみな「罪人(つみびと)」なのだ
と聖書は語っています。他人をゆるす事は、自分がゆるされるために必要だと
言うのです。
 人間わざでは、難しいことです。しかし、十字架に架けられながら、まわりの人
たちのために祈ったイエス・キリストの助けによって、ゆるす力が与えられます。

 父よ、彼らをおゆるしください。
 彼らは何をしているのか、わからずにいるのです。

                       (新約聖書 ルカによる福音書 第23章34節)


 「ゆるす」ことで、あなたは不幸になりますか。いいえ、逆に幸福を得るのです。
 
【心から、祈ってみましょう。】

「イエスさま、わたしが○○さんをゆるすことができるように、力をください。そして、わたし自身が罪をゆるされ、永遠の命を得ることができるようにして下さい。
イエスさまのお名前によってお祈りいたします。」
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2005年4月

 今、とっても必要なものは、何ですか。

 財産、車、家、家族、友人、恋人、食物、職場、成績、点数、健康、子ども。
それとも、パソコン、ゲーム機、DVD、冷蔵庫、テレビ、電子レンジでしょうか。
愛、平和、信念、向上心、礼儀、名誉、気配り、安心、なども考えられます。
それぞれ、あるに越したことはないし、無いと不便だったり困ったり淋しかったり
するかもしれませんね。
 何か一つだけ選ぶように言われても、なかなか絞り込むのが難しいのではない
でしょうか。

 無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。
                       (新約聖書 ルカによる福音書 第10章42節)

 聖書には、こう書いてあります。
 イエスさまが客となったある姉妹宅で、姉は食べ物飲み物などの接待で忙しく
しており、妹は何も手伝わないでイエスさまの話に聴き入っていました。腹を立て
た姉に向かって、「聴く」ことの大切さを話されました。

 イエスさまの話を聴き、それを受け入れ、その結果罪のゆるしと永遠のいのちを
いただくこと。これが、もっとも「無くてならぬもの」なのです。

 人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。
                       (新約聖書 マルコによる福音書 第8章36節)


 無くてならぬものだけは、しっかりと得ておきませんか。
 
【心から、祈ってみましょう。】

「イエスさま、ただ一つ、無くてならぬものを知りました。あなたを受け入れ、罪のゆるしと永遠の命を得たいと願います。どうぞ、わたしをお救い下さい。
イエスさまのお名前によってお祈りいたします。
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2005年3月

 日本には、いろんな宗教的な行事がありますよね。
 赤ちゃんが生まれたとき、姓名判断で名前をつけて、お宮参りに行く。お正月に
は初詣に行き、節分には豆まきをして鬼払い。受験の時には神社にお参り、
雑誌や新聞の占いを気にしてみたり、時には祈祷師を訪ねて悪魔払い。
プール開きではお払いをしてもらい、七夕では願い事を書き、お盆にはお寺
に行って墓参り。七五三で祈祷してもらい、クリスマスには賛美歌を歌う。
結婚式はチャペルで、葬式はお寺で。家の中には神棚と仏壇と、霊験あらたか
なお札が何枚か。旅先で買い集めたお守りや、お土産にもらった魔よけ。

 信じる心さえあれば、信じるものは何でもいいのでしょうか。
 どんな道を通っても山の頂上に行き着くように、何を信じてもいいのでしょう
か。構わないのでしょうか。

 神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を
信じるものがひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
                               (新約聖書 ヨハネによる福音書 第3章16節)

 聖書には、天地を創造したひとりの神さまについて書かれています。そし
て、その神さまが人間ひとりひとりを愛しておられると書いてあります。その神さ
まを無視して他の信心に走ることは、親を無視して他の人を親と呼ぶようなもの、
夫や妻を無視して他の人に心を向けるようなものなのです。
 今信じているものは、本物ですか。信じる価値のあるものですか。今一度、心を
探ってみませんか。
【心から、祈ってみましょう。】

「神さま、わたしは本当の神さまを無視して他のものに心を向けていました。お許しください。そしてあなたの愛が良くわかるように助けてください。
イエスさまのお名前によってお祈りいたします。
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2005年2月

 「いざ」という時、あなたはどうされますか。
 災害は、突然やってきます。病気も、ある日突然わかることが多いものです。
事故に遭うかもしれません。突然、事件に巻き込まれることもあり得ます。急に
まとまったお金が必要になることも無いとは言えません。

 「いざ」という時のために、何か備えていますか。
 医療保険や火災保険、自動車保険、旅行保険など、いろいろな保険商品が
あります。非常持出袋も必要かも知れません。いざという時、お金や物は、確か
に助けになります。でも、それで十分でしょうか。

 「いざ」という時、誰が助けてくれますか。
 親兄弟、親戚でしょうか。近所付き合いでしょうか。行政でしょうか。親友で
しょうか。医師でしょうか。警察官でしょうか。 

 わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。
わが助けは、天と地を造られた主から来る。
(旧約聖書 詩篇 第121篇1・2節)

 聖書には、ほんとうの助けは、「主(神さまのこと)から来る」と書かれています。
「困ったときの神頼み」といいますが、困ったときにほんとうに助けになるのは、
「天と地を造られた」神さまです。人間が想像したり作り出したりした神ではなく、
人間を造った神さまだけが、ほんとうに人間を助けることができるのです。
【心から、祈ってみましょう。】

「神さま、わたしには不安があります。でも本当に頼りになるものがありません。天地を造られた神さまこそが、頼りになると知りました。あなたのことを良く知り、助けていただくことができるようにして下さい。
イエスさまのお名前によってお祈りいたします。」
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2005年1月


 新しい年になりました。
 新しい気分で、新しいカレンダー、新しい靴や湯呑を使い始めた方もいらっし
ゃるかもしれません。

 陶芸家の手による湯呑茶碗を良く見てみると、微妙にところどころ形がいびつ
であったり、器の厚みが違ったりします。でもそれは、偶然かわった形になったり
したのではなく、そこに作者の深い心遣いが込められているのです。
 作法にのっとって手にしたとき、手のひらの中でぴたっと納まるように、まん丸
ではなく変形させてあります。また飲み口となる部分は飲みやすいように少し
角をつけてあり、厚みも薄くしてあります。

 湯呑でさえも、はっきりと目的と意図をもって作られています。

されど主よ、あなたはわれわれの父です。われわれは粘土であって、あなたは
陶器師です。われわれはみな、み手のわざです。
(旧約聖書 イザヤ書 第64章8節)


 聖書には、神さまは陶器師のように、意図をもって人を創造されたと書かれて
います。工場で大量生産される安物の湯呑ではなく、一品限定生産の特別な
作品として、わたしたちひとりひとりは形づくられています。
 あなたにはあなただけの存在意義があり、価値があるのです。
 創造主である神さまに目を向ける時、その価値がはっきりしてくるのです。
【心から、祈ってみましょう。】

「神さま、あなたが価値ある者としてわたしを造って下さったことを感謝します。あなたに目を向けます。イエスさまの命を下さるほどのあなたの愛がわかるように助けてください。イエスさまのお名前によってお祈りいたします。」
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