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2006年
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2006年12月

クリスマスが近づいてきました。
クリスマスは、
イエス・キリストの誕生を祝う日」です。

イエスさまがこの世に来たのは、神さまがあなたを愛しておられる証拠
 神さまの真実な愛については、
神さまからのラブレターである「聖書」に詳しく書いてあります。そして、教会ではそのお話が聞けます。その愛に触れたなら、きっとクリスマスを喜ばずにいられなくなることでしょう。
 
 クリスマスは、全世界のための喜びの日、めぐみに満ちた日なのです。
 
 教会で、神さまの真実な愛に、ふれてみませんか。


きょダビデの町に、
あなたがたのために
救い主がお生まれになった。

(新約聖書 ルカによる福音書
          第2章11節)
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2006年11月


 「生きている意味」って、あると思いますか、無いと思いますか? 聖書には、

 あなたはわが目に尊く、重んぜられるもの、わたしはあなたを愛するがゆえに・・・
          
                    (旧約聖書 イザヤ書 43章4節)

 と書かれています。

一人ひとりの命をつくり、日々生かしている神さまにとって、
一人ひとりの「生」には意味があります。

意味と目的を持って、一人ひとりの命は保たれています。
その意味と目的は、本人にはわかっていないかも知れません。
周囲の人にも、わかっていないかも知れません。

でも確実に、神さまにとっては、意味があるのです。
生まれながらに病気を持っていて、入退院や手術を繰り返し、ほとんど昏睡状態
で、「辛うじて生きている」状態であっても、その両親にとってはかけがえの無い
わが子であって、「生きていてくれること」自体がとても喜びです。

神さまにとって、一人ひとりはそのような存在です。存在そのものが神さまの喜び
なのです。

人間の親は、健康な子どもだと、更にスポーツも身に付けさせたいとか勉強も良
い成績をとか、親の言うことを良く聞いてとか、欲張ってしまいがちです。そして期
待に沿わないと怒ったりします。

でも神さまは、どんなときでも愛を持って、忍耐強く見守っていて下さいます。そし
て、いつの日にか、神さまのほうを向いて共に喜びの人生を歩む日を待ち望ん
でいて下さるのです。そして、神さまには実現する力があります。

あなたも、「意味のあるいのち」を生きていきませんか?


【心から、祈ってみましょう。】


「神さま、あなたがわたしを愛して下さって、
感謝します。わたしの人生に意味があること
を感謝します。あなたとともに、人生を歩ま
せて下さい。イエス・キリストのお名前によっ
てお祈りいたします。」
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2006年10月


 「十字架」というと、ネックレスについているとか、教会の屋根についている、という
イメージが一般的かも知れませんね。「十字架」って、何でしょうか?

 じつは「十字架」とは、「死刑の道具」です。キリストが磔(はりつけ)になっている
絵や彫刻を見たことがあるかもしれませんね。処刑される者を釘ではりつけ、死ぬ
までさらしておくという刑罰です。死ぬまで時間がかかり、大変苦しむため、特に重
罪の者に対して行われる「見せしめ」の刑罰なのです。
 なぜ、そんないまわしいものがアクセサリーになったり
教会のシンボルになっていたりするのでしょうか。

 そこにキリスト教会の本質があるからなのです。
 十字架の言(ことば)は、滅び行く者には愚かであるが、救(すくい)にあずかる
 わたしたちには、神の力である。
          
            新約聖書 コリント人への第1の手紙 第1章18節

 
イエス・キリストは、何の罪も犯していませんでしたが、十字架刑を受けて死に、
葬られました。それは、あなたの、そして過去から未来における全人類の罪を背負
って、その刑罰を身替わりに受けるためでした。この事実を信じ受け入れるならば、
その人のすべての罪はゆるされ、死後も続く永遠の生命を与えられます。その事
の保証のため、イエスさまは復活しました。

 これが、上の聖書にある「十字架のことば」です。ある人にとっては、バカバカしい
と感じられる事かもしれません。しかし、信じて受け入れた人にとっては、何にもかえ
がたい希望であり、喜びであり、「神の力」なのです。
 誰でも「罪のゆるし」と「永遠の生命」を受け取ることができます。
 ただ「信じるかどうか」にかかっているのです。


【心から、祈ってみましょう。】


「イエスさま、あなたの十字架を感謝します。
あなたがわたしの身替わりに死んで下さっ
たことを信じ受け入れます。どうぞ、わたしの
罪をゆるし、永遠の生命を与えて下さい。
 イエス・キリストのお名前によって、お祈り
いたします。」
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2006年9月


 「死がふたりを分かつまで、愛し続けることをここに誓います。」

 結婚式の中で、新郎新婦が交わす誓いの言葉です。
 でも悲しいことに、このように誓い合った夫婦が、後に離婚してしまうことも少なく
ありません。

 「愛する」って、どういうことでしょう。「好き」とは違うのでしょうか?
 「愛」について、聖書には次のように書いてあります。

 愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。
 愛は高ぶらない、誇らない。無作法をしない、自分の利益を求めない、
 いらだたない、恨みをいだかない。(中略)
 愛はいつまでも絶えることがない。

 
新約聖書 コリント人への第1の手紙 第13章4〜8節)
 ふつう、「愛してる」という言葉は、「ものすごく好き」という
ような意味で使われていることが多いようです。
 でも、「好き」というのは「感情」です。感情は、その時々によって変わってくるもの。
ある程度のコントロールは出来ますが「死ぬまで好きでいよう」と願ってその通りに
なるとは限りません。

 一方で「愛」とは、その人の「意思」です。「決心」と言ってもいいかも知れません。
「愛し続けるぞ」と心に決めることなのです。そしてその「愛」とは、寛容であって、
情深く、ねたまず、高ぶらず、・・・上の言葉にある通りに行動することです。

 これは、人間にとってはとてもハードルの高いことです。簡単に出来ることではあ
りません。神さまからの愛、イエス・キリストの犠牲の愛を知れば知るほど、真実に
愛することができるようになります。


 愛は、神から出たものなのである。
          
ヨハネの第1の手紙第4章7節

【心から、祈ってみましょう。】


「イエスさま、聖書に書いてある愛について
読みました。本当の愛を知って、真実に人を
愛せるようにお助け下さい。イエス・キリスト
のお名前によってお祈りいたします。」
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2006年8月

 お盆のこの時期、各地で亡き親族や先祖を偲ぶ行事が行われます。
 札幌ペンテコステ教会でも先日、納骨堂前で記念集会をいたしました。

 キリスト信者に対しては、「先祖や死者を大切にしない」という批判があるのです
が、どうお思いですか?

 「先祖や死者を大切にする」方法には、いろいろあることでしょう。
 たとえば、お盆だけではなく月命日ごとにお経を上げたり、毎日のお供えを欠か
さないという形で、大切にする気持ちを表している方もいます。でもそれは、仏教の
ある宗派の考え方に基づいたものでしかありません。

 聖書によれば、死とともに人の霊は肉体を離れ、死後の世界に旅立ってしまいま
す。そして、死後には原則的にはこの世の人たちと交流を持つことができません。
 拝んだり供えたりする行為も、死者にとっては何のうれしいこともありません。むし
ろ、悲しいことのはずです。
 あなたが札幌に居るのに、函館にいる家族が、仏間に飾ったあなたの写真に向
かって毎日供え物をし、拝み、「わたしたちを守ってね。」と言われたとしたら、いか
がでしょうか。写真の裏では、ねずみが食物をねらい、泥棒がほくそ笑んでいると
したら。

 聖書では死者を拝むことを戒めています。なぜなら、せっかく心をこめて亡くなっ
た方を拝んでいるつもりでも、その思いは本人には届かず、かわりに人が拝む場
所には、拝まれることを好む悪い霊が住み着こうとするからです。

 生きている間に、礼を尽くし、感謝を伝えることが一番大切です。亡くなった後は
その方を心に思い出し、偲び、なつかしむことで、大切にすることができます。そし
てそれは、亡くなった方のためではなく、残された人たちのためなのです。

 【心から、祈ってみましょう。】
「イエスさま、亡くなった方を大切にするこ
とについて読みました。ほんとうの意味で、
まごころから大切に出来るように助けて下
さい。悪い霊などにかかわらないようにお
守り下さい。イエス・キリストのお名前によ
ってお祈りいたします。」
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2006年7月

 「わたしには、神さまに愛される資格なんてない。」
 ため息混じりに、そんな言葉を発している人は、いませんか。

 あなたが愛されるためには、何が必要なのでしょうか?
 実は、「なにもいらない。そのままでよい。」なのです。
 「えっ?良いことをした人だけが、神さまに受け入れられて天国に行けるのでは
 ないんですか?」 ・・・そんなこと、誰が決めたんでしょうか?

 一人ひとりに命を与えている神さまは、聖書を通して語って下さっています。

 わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して下さって、わたし
 たちの罪のためにあがないの供え物として、御子をおつかわしになった。
 ここに愛がある。                
(新約聖書 ヨハネの第1の手紙 第4章10節)
 「あなたは、そのままでいい。わたしのところに来なさい。」と言って下さっているの
 です。
 「私のしてきたことは、取り返しのつかないことばかり。罰を受けて当然よ」
 ・・・その罰を、すでにあなたのかわりに受けてしまったのが、イエス・キリストなので
 す。十字架にはりつけになっている絵を見たことはありませんか?イエスさまは死
 刑となりましたが、それはあなたの身替わりだったのです。

 あなたは、そのままで天国に迎え入れられるような立派な存在ではないはずで
 す(すべての人間はそうなのです)。でも、イエスさまがあなたの身替わりに死なれ
 たという事実を信じ受け入れるとき、その身替わりは効力を持ち、あなたは天国へ
 入る資格を得ます。何の努力も、苦労も、費用もかかりません。簡単なのです。
 
 「では、わたしはこのダメなままなの?」

 大丈夫です。必要なら、あなたは変えられ
 ます。神さまにはその力があるのですから。


【心から、祈ってみましょう。】


「イエスさま、あなたの身替わりの死を受け
入れます。わたしをお救い下さい。そして
わたしを新しくして下さい。イエス・キリスト
のお名前によってお祈りいたします。
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2006年6月

「神さま」なんて、居ないよ。

 そう言う人も、いますね。どうして、そう思うのでしょうか。

 「だって、会ったこともないし。声が聞こえたこともない。」

 そういう方は、聖書を読んでみて下さい。ひょっとすると、自分で思い込んでいる
「神さま」のイメージがあって、「そんなものは居ない」と思い込んでいるだけかも知
れません。
「別に今悩んでいないし、神様必要ないもん。」
「自分と、何の関係があるのさ。」
 大ありです。神さまは、
 ・あなたの事を愛しています。
 ・あなたが必要としていることを一番良く知っています(あなた自身よりも)。
 ・あなたが今危険な状況にあることを知っています。
 ・あなたを助ける力を持っています。

でも、決して強制はしません。あなたの意思を尊重されます。

昔、イスラエル王国を治めたダビデ王は、このように書いています。


 愚かな者は心のうちに「神はない」と言う。     (旧約聖書 詩篇 第14篇1節)

 「神はいない」と言うのは、自分には親なんていない、自分で生まれ自分の力で
育ってきたんだ、と主張するようなものなのです。

 神さまの愛の証拠は、「イエス・キリスト」です。イエスさまは、あなたの身替わりに
刑罰を受け、命を捨てたお方です。この方を信じ受け入れるとき、あなたの罪はゆ
るされ、死後も続く永遠のいのちと喜びが約束されます。


【心から、祈ってみましょう。】


「神さま、あなたを受け入れます。わたしを愛してくださる愛を受け入れます。イエス・キリストをわたしの心に迎え入れます。永遠のいのちと喜びとを与えて下さい。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。」
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2006年5月

 こんな言葉を、聞いたことはありませんか。

 人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きる
 ものである。              
(新約聖書 マタイによる福音書 第4章4節)

 あるいは、前半だけならご存知かもしれません。
 「うん、わかるわかる。パンだけじゃなくて、御飯も食べなくちゃね。」・・・?

 人間は生き物ですから、パン(つまり食物)を食べなくては生きていけません。
では、食べてさえいれば、それで生きていると言えますか?

 確かに、それで肉体は命を保つことができます。でも人間は肉体だけの存在な
のではありません。体のほかに、(心)と、そしてがあります。この魂と霊とが共
に生きていなければ、「人間」として生きていることにはならないのです。

 では、その魂と霊とは、どうやって命を保つのでしょうか?

 「神の口から出る一つ一つのことば」によって、生きるのです。
聖書」は、神さまが事細かに記された「人間取扱説明書」でもあります。人間が
ほんとうに「生きる」ための秘訣が書かれています。
 その真髄はいたって簡単。「イエス・キリストを信じるだけなのです。知恵も才能
も努力もお金も必要ありません。

どんなにお金を儲けても、偉くなっても、知恵を得ても、
それらはすべて「パン」でしかありません。それだけでは
ほんとうに「生きる」ことにはならないのです。

 イエス・キリストを心の中に迎え入れて、心が神さまの
愛で満たされるなら、あなたの魂と霊とは息を吹き返し、
生き生きと生きることができるようになります。

【心から、祈ってみましょう。】


「イエスさま、あなたをわたしの心にお迎え
します。わたしの内を神さまの愛で満たし、
命にあふれるようにして下さい。神さまの
ことばによって、ほんとうに生きる者として
下さい。イエス・キリストのお名前によって
お祈りします。」
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2006年4月

 4月16日は、イエス・キリストの復活を祝う「イースター」の日です。

 以前、「パッション」という映画が上映されました。ご存知ですか。
 この映画では、キリストの最後の12時間が描かれていました。死刑になるような
何らの理由無く逮捕され、夜中に裁判にかけられ、翌日には死刑が確定しその
まま十字架刑に処せられました。

 イエス・キリストは、まだ周囲の誰もがそんなことを思いもしないときに、あらかじ
め、自分自身が十字架に架けられ死ぬこと、死んだ後に復活することを語ってい
ました。ずっと生活を共にしてきた弟子たちでさえ、とても信じることができませんで
した。・・・しかし、本当に復活したのです。

 自身の死と葬りと復活とを通じて、イエス・キリストの語った言葉が
真実であることを証明したのです。そしてこのことは旧約聖書にも
預言されていました。聖書の確実性をも証明したのです。
  かねて言われていたとおりに、よみがえられたのである。
                
(新約聖書 マタイによる福音書 第28章6節)

 今、劇場公開されているナルニア国物語「ライオンと魔女」に出てくるライオン、
「アスラン」は、イエス・キリストを表しています。裏切り者として処刑されなければな
らないエドマンドの身代わりとして殺され、そして復活します。
 原作者のC.S.ルイス自身が、イエス・キリストの十字架と復活を、こどもたちに
わかりやすく表現したのが、この物語なのです。

 あなたはやり直せます。手遅れではありません。あなたの身替わりに死んで、
よみがえったイエス・キリストには、あなたを完全に立ち直らせる力があるのです。
信じて求めるなら、与えられるのです。この希望を、持ちたいと思いませんか。



【心から、祈ってみましょう。】


「イエスさま、あなたがわたしのために死んで復活したことを知りました。悲しみも苦しみも困難も絶望も、すべてあなたの前に持って行きます。どうぞわたしを解放し、自由にし、希望を与えて下さい。イエスさまのお名前によって、お祈りします。」
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2006年3月

 「なやみ」があるとき、あなたならどう対処しますか。

 自信と実力のある人なら、それに立ち向かっていくことができるかもしれません。
友人・知人に相談する、笑い飛ばす、あきらめる、楽しく過ごして気をまぎらわせる、
そのほか、いろいろな対処法があることでしょう。

 これら一つひとつに、それなりの効果があります。特に、人の助けはありがたいも
のです。でもだからといって、すべての悩みがこれで解決するわけではありません。

 聖書には、こう書かれています。

 悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめる
であろう。                        
(旧約聖書 詩篇 第50篇15節)

 「わたし」と言っているのは神さまご自身のことです。神さまは、人の心の全てを
理解し、完全に解決することが可能です。
 
 神さまを「呼ぶ」には、何か特別な儀式を行って降臨を願ったりする必要はありま
せん。神さまはいつもあなたの傍に、あなたとともに居ることができます。全世界に
何十億人いようとも、その一人ひとりの傍にいて、一人ひとりの心の言葉を聴いて
下さることができるのです。

 大声で叫ぶ必要もありません。静かに語りかけるだけで良いのです。神の御子、
イエス・キリストによって、あなたにはその資格が与えられているのですから。


【心から、祈ってみましょう。】


「神さま、わたしの悩みを聴いて下さい。そして、あなたが最善と思われる解決を与えて下さい。イエスさまによって、わたしの罪がゆるされ、あなたにお願いする資格が与えられていることを感謝します。イエスさまのお名前によって、お祈りします。」
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2006年2月

 人はいつも、何がしかの悩み事を引きずりながら、日々過ごしています。

 人間関係だったり、経済的な問題であったり、健康の不安であったり。悩みの種、
心配の種は尽きることがありません。


 あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは
すでに世に勝っている。        
(新約聖書 ヨハネによる福音書 第16章33節)

 悩み事は、一つひとつ解決していっても次から次へと出てきます。それは、「悩み
のもと」がずっと残っているからです。

 薬で熱を下げたりせきを止めたり鼻水をおさえたりしても、症状の元となるウイル
スが身体に多く残っている限り、次々といろいろな症状が出てきます。同じように、
悩みのもとである「罪(つみ)」が人の心に残っている限り、悩みが尽きることはな
いのです。
 世に勝つ者は誰か。イエスを神の子と信じるものではないか。
                    
(新約聖書 ヨハネ第1の手紙 第5章5節)

 人間は、生まれながらに「罪」の性質を持っています。法律的な犯罪ではなくても
人間を創造された神さまの目から見て「罪」を持っているのです。しかし、イエス・キ
リストを神の子と信じる者は、罪がゆるされます。イエス様があなたの身がわりとなっ
てすべての罪の刑罰を受けて下さったからです。

 悩みのもとである「罪」がゆるされるとき、悩みの一つひとつは根本的に解決され
ます。すると、この世の中のいろいろな悩みに振り回され続ける人生から、「世に勝
つ」人生へと変わることができるのです。



【心から、祈ってみましょう。】


「イエスさま、あなたが神の子、わたしの救い主であると信じます。わたしの人生に立ちふさがるあらゆる悩みから助け出し、勝利の人生を送ることができるようにお助けください。イエスさまのお名前によってお祈りいたします。」
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2006年1月

 新しい年がやってきました。どのような新年をお迎えでしょうか。

 近年の日本は、どんどん変わってきているように感じられます。景気が低迷し、貧
富の差が拡大し、雇用も不安定になっています。子どもたちが巻き込まれる事件
が後を絶たず、未解決の事件も増えてきています。年金や健康保険制度も、建て
物や食品、乗り物の安全性も、確かではなく感じられるようになりました。

 明日はどうなるのか、将来はどうなるのか、不安が先に立つことも多いかも知れま
せん。でも、聖書にはこう書かれています。

 だから、あすのことを思いわずらうな。
(新約聖書 マタイによる福音書 第6章34節)

 何も考えずボケッとしていなさい、ということではなく、最終的にはすべてを最善に
して下さる神さまに信頼しなさい、ということです。
 神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。
                    
(新約聖書 ヨハネによる福音書 第3章16節)

 「この世」という単語のかわりに、あなたの名前を入れることができます。

 あなたは愛されています。あなたがその愛を受け入れるなら、その実を見ること
ができます。あなたがどんな人であっても、神さまは受け入れて下さいます。あなた
がイエス・キリストを受け入れるなら、あなたの過去のいろいろな過ちは、神さまの
目にゆるされます。イエスさまは、あなたの身代わりに死んだのですから。

 どんな状況の中にあっても変わらない愛。何が起こっても揺るがない愛。そんな
愛をはっきりと知る、そんな年にしてみませんか。



【心から、祈ってみましょう。】


「イエスさま、どんな状況の中でも変わらないあなたの愛を受け入れます。あなたをわたしの救い主として信じます。どうぞわたしの明日も、将来も、最善に導いて下さい。
イエスさまのお名前によってお祈りいたします。」
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日本福音ペンテコステ教団
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