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2011年
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2011年12月


 
 町中どこに行ってもクリスマスソングが流れ、赤・白・緑・金色のクリスマスカラーで彩られる季節。日本では単なる年中行事と化していますが、この「クリスマス」で、一体何をお祝いしているのでしょうか?


キリストの誕生を、なぜ祝う?
 クリスマスが「プレゼントをもらう日」だと思っている子どもも少なくないなか。でも本来は「イエス・キリストの誕生を祝う日」なのです。このキリストは、今から2千年以上も前に生まれたとされています。そんな昔の人の誕生を今でも祝っています。どうしてだと思いますか?

  恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。このかたこそ主なるキリストである。
          
(新約聖書 ルカによる福音書 第2章10・11節)


 イエス・キリストが生まれた夜、羊飼いたちの前に天使が現れて、このように語りました。『すべての民に』と語られています。世界中どこに住む人であっても、いつの時代の人であったとしても、このキリスト誕生により『大きな喜び』が与えられるというのです。もちろん、現代日本に生きる私たちも例外ではありません。
 あなたは、イエス・キリストを個人的に知っていますか。2千年も前に生まれ死んでいった過去の人物だと思っているとしたら、それは十分な理解ではありません。そこにいる佐藤さん、田中さんと同じように、現に存在する方として知るならば、天使が『大きな喜び」と
伝えたわけを実際に知ることが出来るでしょう。この喜びを知るならば、あなたの中で大きく変わってくることでしょう。この喜びなくしては、クリスマスに意味などない、とも言えます。
 
キリストを知ってください

 イエス・キリストのことをよく知らないのでしたら、ぜひ興味を持ってみていただきたいと思います。歴史上、国を統治する道具として、また民心を掌握するための宗教として、キリストは利用されてきました。それ故の暗黒時代もあります。しかし、このキリスト自身を知るならば、政治や宗教と無関係に人生が大きく変えられていきます。奴隷商人をしていた中からキリストを知り、非人道的商売から離れた人。マフィア、ギャング、ヤクザなどからキリストによって新しくされ、他者に尽くすようになった人。他人を蹴散らしトップに立つことばかり望んでいた中から、謙虚で愛にあふれる人物へと変えられた人。自分に絶望し自殺場所を求めていた中から救いを受けて、与えられている命と境遇に感謝できるようになった人・・・・・・。
 

  だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
       
  (新約聖書 コリント人への第2の手紙 第5章17節)


 キリストを知り『キリストにあるならば』、その人は日々新しくされ続けていきます。

クリスマスは教会で!

 札幌ペンテコステ教会では、毎年クリスマスの時期に「クリスマス礼拝」と「キャンドル礼拝」をおこなっています。ぜひ一度足を運んでみて下さい。そして、あなた自身がキリストを知り、新しく変えられた第一歩を踏み出して行くことができたら、素晴らしいことと思います。「大きな喜び」は、求めるならば誰でも知ることができるのです。 

 
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2011年11月


「バイブル」
 
 何かをするために、大切な指南を与える書物を「○○のバイブル」と呼ぶことがあります。その「何か」を目指すには欠かすことのできない、絶対に読まなくてはならない・・・・・・。そういう書物のことです。
 「バイブル」というのは、英語で「聖書」を意味する言葉です。古代ギリシャ語で「本」を意味する単語が語源だとか。毎日毎日読み、ちょっとした時間があれば読み、分厚いにも関わらず一生にわたって何度も何度も読む。そういう信仰者の姿勢を見て、「○○のバイブル」という言い方ができたようです。

なぜ、聖書を?


 なぜ、聖書をそんな風に読むのでしょうか。聖書自身に、こう書いてあります。

  聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、
  正しくし、義に導くのに有益である。
          
(新約聖書 テモテへの第2の手紙 第3章16節)


 メーカーが家電製品や工業機械について「取扱説明書」を作るように、人間を創造した神さまは人間に関する「取扱説明書」として「聖書」を用意されました。人間とはどういうものなのか、どのように生きるべきか、何が正しいのか、神さま自身の意図が記されています。ですから聖書をよく読み、心にとどめるならば、本来あるべき人生を歩むことができる・・・・・・まさに「バイブルなのです。

 
あなたも読んで見ませんか

 聖書を読んだことはありますか?読んだことの無い方も、ぜひ一度手にとってみて下さい。もともとへブライ語やギリシャ語で書かれたものですので、日本語訳は何種類か出ています。文体や表現の違い、原語の解釈の違いもあって「完璧」な翻訳は難しいのですが、まずはご自身で読みやすそうなものを選ばれたら良いでしょう。一度読んですべてわかる、ということは決して無いと思います。古今東西、多数の人たちが一生をかけて読み続けても、不明な部分は残っています。特に将来に関する事には、実際にその時代になってみて初めて「こういうことだったのか」とわかる内容もあるようです。
 そして、じっくり吟味することが必要です。独りよがりな「独自の解釈」に陥らないように、気をつける必要があります(そういう所から、新宗教やカルトが生まれてきました)。聖書自身にも、書いてある通りです。

  聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈すべきでないことを、まず第一に知るべきである。
       
  (新約聖書 ペテロの第2の手紙 第1章20節)

 

教会で話を聞いてみても

 自分自身で読むと同時に、教会で、あるいはイエス・キリストを信じた人たちに話を聞いてみても良いのではないでしょうか。読むだけではなかなか理解しにくかった部分も、話を通してよく分かる部分もあろうかと思います。また、疑問があれば直接聞いてみることもできます。
 聖書は「神さまからのラブレター」と言われることがあります。あなたを愛しておられる神さまからのラブレター、読んでみませんか。内容をよく知りたいと思いませんか。
 神さまの愛を知り、あなたご自身がどんなに貴重でかけがえのない存在であるかを知り、あなたを滅ぼそうとしている敵(悪魔とかサタンと呼ばれる存在)の事とそれに対する対抗方法を知るならば、あなたの人生は輝きを増し、希望が湧き出してくることでしょう。
 

 
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2011年10月


あなたは、イエス・キリストを知っていますか?
 
ある人を「知っている」という場合、いろいろな程度があることでしょう。
 「名前だけは聞いたことがある」「噂で聞いたことはある」「ちらっと見かけたことがある」「挨拶を交わしたことがある」「世間話をしたことがある」「一緒に出かけたことがある」「ある程度立ち入ったことも話せる間柄」 「3年間寮生活で同じ釜の飯を食った仲」「20年来、家族ぐるみの付き合いをしてきた友」「お互いに考えていることがわかる無二の親友」などなど。
 あなたが「知って」いるイエス・キリストは、あなたとどの程度の関係でしょうか。
 
自分自身で親しく聞いて

  この女は水がめをそのままそこに置いて町に行き、人々に言った、「わたしのしたことを何もかも、言い当てた人がいます。さあ、見にきてごらんなさい。もしかしたら、この人がキリストかもしれません」。〜(中略)〜
 そこで、サマリヤ人たちはイエスのもとにきて、自分たちのところに滞在していただきたいと願ったので、イエスはそこにふつか滞在された。そしてなお多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。彼らは女に言った、「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救主であることが、わかったからである」。
 (
新約聖書 ヨハネによる福音書 第4章28〜29、40〜42節)


 ある日、サマリヤという土地で、とある女性がイエスに会いました。いろいろと言葉を交わすうちに、この人物が昔から預言されていたキリスト(救世主)ではないかと思い始め、町の人たちに知らせました。町の人たちは最初は半信半疑だったかも知れません。でも最終的には「自分自身で親しく聞いて〜わかった」のです。
 
あなた自身も

 一般的に、イエス・キリストは大昔に死んでいなくなった歴史上の人物として扱われています。しかしイエスをキリスト(救世主)と信じる人たちにとって、彼は過去の人物などではありません。祈りに耳を傾け、日々の生活の中で必要な助けを与え、友として、師として、親しく関わって下さる存在なのです。空想や概念、思い込みにより信じられているだけの架空の存在ではなく、実在の方なのです。人から聞いて「何となくそうかなぁ」というだけでは、よくわからないでしょう。でも、あなた自身がサマリヤの人たちと同じように「自分自身で」確かめることができます。

 あなた自身がイエス・キリストに語りかけ(それを「祈り」といいます)、彼からの語りかけに耳を傾けるなら、きっと応えて下さいます。悩みを訴えお願いするだけではなく、日常の何気ないことも話しかけてみましょう。聖書を読んだり、関係の書籍を読んだり、イエスを信じる人たちの話しを聞いたり、教会に行ってみたりすることも、ある程度助けになるかと思います。

ゆるしを求めることも必要です。

 「いろいろ話しかけてみたけれども、特に何も変わったことがない……」そういう場合も無いわけではありません。今まで、あなた自身に命を与えて下さっている本当の神さまを無視して生きてきたなら、せっかく語りかけを受けても気づかないことがあります。無視することに慣れてしまっているのです。唯一の神さまを無視することを聖書では「罪」と呼んでいます。しかしあなたは「天地を創られた唯一の神さま、わたしは今まであなたを知らず、無視して生きてきました。どうかおゆるし下さい」とお願いすることができます。イエス・キリストがあなたの罪の身代わりに十字架にかかって一度死んで下さったので、あなたはそれを信じるならばゆるされます(詳しくは聖書を読んだり、教会で話を聞かれるとよいでしょう)。神さまとの関係が回復するなら、その語りかけを受け止められるようになり、自分自身で親しく聞くことができるようになります。そうすれば、サマリヤの人たちと同じように、わかってくるはずです。
 

 
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2011年9月


「イエス・キリストは唯一の救い主」

 などと聞くと「そんな排他的な」という意見を持たれる方もいます。「イエス・キリストを信じれば罪ゆるされ永遠の命が与えられる」というと、「脅して信じさせようったって、そうはいかないぞ」と反発される方もおられます。そう感じられるのも仕方ないのかもしれません。
 では「20階建てのビルの屋上から飛び降りないように。死んでしまうから」と言われ
たら、どうでしょう。「飛び降りようがどうしようが、わたしの勝手だ。それに、飛び降りた
からってそうそう死ぬものか。脅してわたしの自由な行動を奪おうと目論むなんて、ひどい
やつだ」と言うでしょうか。飛び降りの危険性を知る者が、知らない人に事実を伝えて
いるだけなのです。もちろん、受け取るか受け取らないかは、聞く人の意見次第です。
 
「わたしたちを救いうる名」

  このイエスこそは『あなたがた家造りらに捨てられたが、隅のかしら石となった石』な
のである。この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にして
は、天下のだれにも与えられていないからである。
新約聖書 使徒行伝 第4章11・12節)


 聖書には、こう書かれています。そしてこの言葉を、書かれて以来約2千年にわたって多くの人たちが実体験し証言してきました。これは、皆さんに向けてのお知らせであり、また警告でもあります。3月の地震と津波、また先日来の豪雨災害を取り上げるまでもなく、人はいつ何時どんな事に遭遇するかわかりません。いつ、この地上の最期の日を迎えるかもわかりません。あなたが死後行く先について、今現在はっきりした確信がありますか。その確信している事に間違いはありませんか。
 
「ただ、信じること」

  すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の
中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。なぜなら、人は
心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。
                      新約聖書 ローマ人への手紙 第10章9・10節


 人が「救われる」条件として、「心に信じ、口で告白すること」と聖書に書かれています。「札幌ペンテコステ教会に来る」とか「何円献金する」とか「何時間無料奉仕活動をする」とか「何日間修行をする」とか、そういう条件はないのです。あなた個人の心の問題だけなのです。「え?信じるだけ?そんな簡単にゆるされちゃうの?」と仰る方もいます。そう、簡単なのです。必要な事はただ、「信じる」だけ。だから、お勧めします。「どうか、イエス・キリストを信じて下さい」と。

イエス・キリストを知って下さい

 日本では、今のところ信教の自由が謳われています。
聖書も読めますし人の話を聞くこともできます。ネット上で情報を検索することもできます。どのような手段でも良いですから、イエス・キリストについて知って下さい。もちろんネット上には様々な嘘情報(イエスは宇宙人だとか、実は十字架で死なずに逃げてきて日本に墓があるとか、イエスと釈迦とマホメットは同一人物だとか・・・・・)もありますから、判別が必要になります。あなたが心の中で「イエスさま、あなたについて正しく知ることができるように助けて下さい」と祈りつつ捜し求めるならば、必ずや良い方向に進んでいくことができることと思います。あなたは実感しておられないかも知れませんが、イエス・キリストはあなたが生まれる前からあなたのことを知り、愛し、慈しんでいるのですから。
 

 
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2011年8月


困難なこと

 世の中、困難なことがたくさんあります。物事を極めるためには努力を積み一所懸命に頑張る必要があります。対象によってレベルの違いはいろいろありますが、甲子園優勝、オリンピック金メダル、将棋の名人、アメリカ大統領当選、みなそれぞれに大変に困難なことです。仕事、人間関係、健康維持、介護、人によりさまざまな困難があります。「人生とは、困難の連続である」という方もいるようです。
 
簡単なこと

 死後、天国に行くのは難しいことでしょうか。天国で過ごす「永遠の命」を得るために
は、どんな難行苦行が必要なのでしょうか。聖書には、こう書いてあります。

 「先生がた、わたしは救われるために、何をすべきでしょうか」。ふたりが言った、
「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」。
            
新約聖書 使徒行伝 第16章30・31節)


 聖書で求められているのは「主イエスを信じること」です。「イエス・キリストが、わたし
の罪の身代わりに十字架で死んで下さった。わたしに命を与えるためによみがえって
下さった」そう信じるなら、あなたの罪はゆるされ、永遠の命を持つことが出来ると書い
てあります。

 神はそのひとり子(注:イエス・キリストのこと)を賜わったほどに、この世を愛して下さっ
た。それは御子
(注:イエス・キリストのこと)を信じる者がひとりも滅びないで、
永遠の命を得るためである。
           
(新約聖書 ヨハネによる福音書 第3章16節)
 
 人がどんな努力をしても、それが自分自身を救う力にはなり得ません。ただ神の恵
みにより、それが与えられます。恵みを受ける条件は「信じること」。じつに簡単なことで
す。素直に受け取る、それだけなのですから。

簡単なはずなのに


 簡単だと言われて、はいそうですかと信じられる人は少な
いかも知れません。世の中には嘘や偽物があふれています。
詐欺も年々巧妙化し、なくなることがありません。何事もうまい
話はまず疑ってかからなければ危うい、そんな世の中で「信
じたら、救われる。簡単です」と言われてホイホイと信じられるか、
というのが普通かも知れません。でも「もし本当なら、信じてみ
たい」とも思われるのではないでしょうか。

イエス・キリストを個人的に求めてみて下さい

 本当かどうか、ぜひご自分で確かめてみて下さい。まずは「天地を造られた唯一の
神さま」に心を向け、祈ってみて下さい。あなたの救い主である「イエス・キリスト」に話
しかけてみて下さい。あなた一人の所で、個人的に心を向けて求めてみるだけで良い
のです。「本当の神さまという方がおられるなら、わかるように助けて下さい」「イエス・
キリストの救いがわかるように助けて下さい」と祈ってみて下さい。そして「聖書」を手に
取って読んでみて下さい。日本語訳(原語はヘブライ語、ギリシャ語などで書かれています)
が何種類かありますし、ダイジェスト版やコンコルダンス、マンガ版などもあります。「自
分にふさわしいものを選ぶことができるように」と祈りながら選んでみて下さい。「意味
がよくわかるように、正しく理解できるように助けて下さい」と心の中で祈りながら読ん
でみて下さい。もし誰かの手助けが必要だと感じられたなら、教会を訪ねてみて下さっ
ても構いません。神さまはきっと、直接または人を通じて、
あなたを助けて下さることでしょう。

 あなたが個人的にイエス・キリストを知り神さまを知るな
らば、「信じる」のは簡単です。両親の存在を信じるのと同
じように、「当たり前のこと」になるからです。

 これは、あなた自身の永遠の生命にかかわる重大なお
話です。確かめてみるだけの価値があると思いませんか。
 

 
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2011年7月


教会に行ったことはありますか? 

 「子どもの頃、日曜学校に行ったことが」「クリスマス会をやっていたので」という方もいらっしゃいますね。中には「自分から訪ねてみた」という方もおられると思いますが、勇気のある方ですね。
教会のイメージ 

 「教会」というと結婚式場のイメージ、荘厳で静かな所、という印象
を持たれるでしょうか。オルガンの伴奏で静かに賛美歌を歌い、牧師
さんの説教に耳を傾ける所、心洗われる聖なる場所、という感じでし
ょうか。ちなみに、先日札幌ペンテコステ教会に来られた学生さんは
「入ってみたらピアノやドラムやギターがあって、ちょっとびっくりしま
した」とのことでした。
イエス・キリストを救い主と信じ、聖書をよりどころとする教会

 一般的なイメージの通りの教会もあります。一方では、とても賑やかに歌い踊るような教会もあります。世の中にいろいろな性格の人が居るように教会の様子にもいろいろあり、特定の「型」が決まっているわけではありません。ただ共通しているのは「聖書」を基準にして、イエス・キリストを救い主として信じ受け入れていることです。
 「統一教会(世界基督教統一神霊協会)」「エホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会)」「モルモン教(末日聖徒イエスキリスト教会)」などは、聖書「も」使用しますが独自の教典と価値観を持つ、キリスト教会とは別の「宗教」です。
 
教会は聖なる所?

 人間は誰でも欠点を持っており(聖書には「義人はいない、ひとりもいない」と書いてあります)、イエス・キリストを信じたからといってそれらがたちどころに無くなるわけではありません。けれども、それでも神さまが愛して下さっていることを知り、あらゆる「罪」を許して下さった方に感謝し、喜ぶ。教会とは、そういう所です。
 「わたし、汚い人間だから。心がもう少し清くなったら教会に行く資格ができるかも」のように言われる方が時々おられます。でもそれは違うのです。人間はいくら努力しても精進しても修行しても、神さまの視点による「清さ」に到達することはできません。ありのままの自分を認めて、「こんなわたしですけど、神さまは愛して救って下さるんですね」と、神さまの前に出て行くことしかできないのです。というわけで、教会は別に「清い人」の集まりなどではありません。だから、遠慮する必要はありません。

 イエス・キリストは、次のように話されました。

 すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう。
           
(新約聖書 マタイによる福音書 第11章28節)
 


人は皆、いろいろな部分で苦労を重ねています。でもイエス・
キリストのもとに行くならば、その重荷をおろし、休むことができま
す。それは決して現実から逃げることではありません。負うことの
できない重荷をおろし、一人ひとりに応じた適切な荷をイエス・キ
リストと分かち合い、ちょっとずつ鍛えられて、生きがいのある人
生へと歩み出していく、出発点となるのです。

ぜひ教会へ!


 ですから、遠慮せずに一度、教会に足を運んでみて下さい。
1ケ所行ってみて自分には合わないなぁと思ったら、別の教会を訪ねてみて下さい。祈
って神さまに求めていくならば、あなたに最もふさわしい教会へと導かれることと思います。
(もちろん、札幌ペンテコステ教会にいらっしゃいましたら歓迎いたします)

【祈ってみましょう】


 聖書に書かれている神さま。わたしは重荷をおろし、罪ゆるされ、新しい歩みを始めていきたいと願います。聖書を学び、真実の救い主を知っていくために、わたしに最もふさわしい所へと導いて下さい。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。

 
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2011年6月



 震災で甚大な被害が出ています。住まい
を失い、職場を失い、家財道具も思い出の
品もすべてを失ってしまった方が多くおられ
ます。家族を失い、友人知人を失い、地域
コミュニティーもまるごと失ってしまった方も
少なくありません。
 義捐金や食糧、生活必需品を送ったり、ガレキや泥の除去、炊き出しなど、直接的
支援はこれからも長期にわたって必要であると言われています。実際に行動に移され
た方、ボランティアで現地に出向いた方も少なくないでしょう。そしてこれら物質的支援
だけでは十分ではなく、今後は心のケアが重要と言われます。
 
人はパンだけで生きるものではない

 イエスは答えて言われた、『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る
一つ一つの言(ことば)で生きるものである』と書いてある」。
                  
(新約聖書 マタイによる福音書 第4章4節)


 聖書の有名な一節です。パンだけではなく御飯も食べるぞ、
と混ぜ返す方もいますが、ここではパンに代表される物質的な
必要のことが語られています。物質的必要も満たされなければな
りません。しかし人間はそれだけで「生きる」ことはできません。
日本では2010年まで13年連続で自殺者が3万人を超えているとのこと。事故や行方不明として集計されている例を含めるともっと多いとも言われます。震災・津波による犠牲者よりも更に多くの方々が、「もう生きていけない」と自ら死を選んでいます。困窮を極め食べるにも事欠いて、という方もいらっしゃるでしょう。しかし多くは様々な形で生きて行くための心の支えを失ったことにより死を選ばざるを得ない状態に陥ってしまった、ということではないでしょうか。
 
「心の支え」はありますか。

 被災された方々の中に、いろいろな反応があります。何もかも失ったけれども命だけ
は助かった。生きていれば何とかなる、再建してみせると前を向いておられる方。もう
ダメだ、先が全くわからず途方にくれている、絶望以外の何物でもない、と沈まざるを
得ない方(自殺された方もおられるとか)。想像すら困難な大変厳しい状況にある被災
地の方々に対して、他の地にある者がその良し悪しを言うことはできません。ただそこ
に、何らかの「心の支え」が有るか無いかによって、生きていくための力の有無が生じ
ているように感じられます。
 あなたには「心の支え」がありますか。

神の口から出る一つ一つのことば

 聖書は「神のことば」です。歴史や伝記、詩、手紙などい
ろいろな形式で「生ける神」がどういう方であるか、人間とは
どういうものか、どう生きるのか、などが書かれています。
人間を創った神さまによる「取扱説明書」であるとも言われ
ます。読んだことがない方は、ぜひ一度手にしてみて下さい。
ちょっとだけしか読んだことがない方は、ぜひじっくり読んで
みて下さい。分厚い聖書はなかなか読めない、という方は、
「マンガ聖書」あたりから手にしてみてはいかがでしょうか。

 聖書に書かれている神さまが架空の存在であったならば、単なる気休め以外に何の効用もありません。しかし聖書を通じ、イエス・キリストを通じて多くの方が心の支えを得、人生を豊かにされています。長い歴史上、多くの実例によって「架空の神」ではないことが示されています。皆さんがこの「神のことば」に触れて、「生きる力」を自分のものとされますように。揺るがない「心の支え」を持っていただけますように。

[祈ってみましょう]

 聖書に書かれている神さま。あなたが本当にいらっしゃる神さまなのでしたら、どうかそれがわかるように助けて下さい。わたしの心の支えになって下さい。あなたの口から出る一つ一つのことばによって、力強く喜びにあふれた豊かな人生を送ることが出来るようにして下さい。イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。

 
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2011年5月



 世界中には多くの「宗教」といわれるもの
があり、様々な「神」が紹介されています。
しかしそれらは「人の手によって創りだされ
た神」「人々の畏怖や願望を表現したもの」
であることが多いようです。
 イエス・キリストが十字架にかかって死に、復活し、天に昇っ
た後、「パウロ」という弟子がギリシャを訪ねました。そこには多
くの神々があり(ギリシャ神話はご存知ですね)、「宗教」に満ち
ていました。パウロはそれらを見て、何か耳新しいことを聞きた
がっていたアテネの人々に対して次のように語りました。
 知らずに拝んでいるもの 〜使徒行伝から〜

 そこでパウロは、アレオパゴスの評議所のまん中に立って言った。「アテネの人たち
よ、あなたがたは、あらゆる点において、すこぶる宗教心に富んでおられると、わたし
は見ている。実は、わたしが道を通りながら、あなたがたの拝むいろいろなものを、よく
見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。そこで、あ
なたがたが知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう。
 この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で造っ
た宮などにはお住みにならない。また、何か不足でもしておるかのように、人の手によ
って仕えられる必要もない。神は、すべての人々に命と息と万物とを与え、また、ひとり
の人から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分
し、国土の境界を定めて下さったのである。
 こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さ
った。事実、神はわれわれひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。われ
われは神のうちに生き、動き、存在しているからである。あなたがたのある詩人たちも
言ったように、『われわれも、確かにその子孫である』。
 このように、われわれは神の子孫なのであるから、神たる者を、人間の技巧や空想
で金や銀や石などに彫り付けたものと同じと、見なすべきではない。神は、このような
無知の時代を、これまでは見過ごしにされていたが、今はどこにおる人でも、みな悔い
改めなければならないことを命じておられる。神は、義をもってこの世界をさばくためそ
の日を定め、お選びになったかたによってそれをなし遂げようとされている。すなわち、
このかたを死人の中からよみがえらせ、その確証をすべての人に示されたのである」。
 死人のよみがえりのことを聞くと、ある者たちはあざ笑い、またある者たちは、「この
事については、いずれまた聞くことにする」と言った。
                       新約聖書 使徒行伝 第17章22〜32節)
 
「本当の自分」を取り戻す

 ここで語られている「お選びになったかた」「このかた」とは、イエス・キリストを指して
いる言葉です。イエス・キリストは、「キリスト教の教祖」とか「聖人」というようなもので
はなく、天地が創られる前から脈々と続く救いの計画に従ってこの
地上に来られた、「約束の救世主」です。

 今まで「知らずに拝んで」いたものはありませんか。どうか、本来
拝まれるに値する「ほんとうの神」について、心を向けてみて下さい。
あなたの個人的事情をよく理解し、あなたに最もふさわしい(「あなた
が一番望んでいる」とは限りませんが)、あなただけの特別の人生を用意しておられる
方に期待してみませんか。あなたが個人的にこの方を知るならば、その時初めて「本
来の自分」を取り戻すことができます。聖書を読んだり、メッセージを聴いたりすること
により、真の神さまとイエス・キリストについて、より良く知ることができます。

[祈ってみましょう]

 聖書に書かれている神さま。わたしは今までいろんな神々を拝んできました。でも、
「本当の神さま」がおられるなら、よく知りたいと思います。「熱心に追い求めて捜しさえ
すれば、神を見いだせる」と読みましたから、わたしにも見いだせるように助けて下さい。
イエスさまの救いがわかり、豊かな意義のある人生を始められるようにして下さい。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。

 
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2011年4月



 東日本大震災。地震の発生から1ヶ月に
なります。おびただしい犠牲者を出した想
像を絶する被害。全容は今なおつかみ切
れず、原子力発電所では予断を許さない状
況が続いています。読者の中には、友人知
人や関係者が被災した方もいらっしゃるか
も知れません。大量に流され続ける震災報
道によってさえも、心に深い傷を受けてしまうような状態です。
 
揺さぶられた心 〜 神さまからの語りかけを求める

 この被害を通じて、多くの方達の心が揺さぶられたことと思います。以前の価値観が
激しく揺るがされたのではないかと思います。水が使える、店に商品がある、電気がつ
くという今まで「当り前」だったことも、実はとても幸いな環境であったと体感されたこ
とでしょう。そして、平穏なときであったなら気にも留めずに済ませていた、

・本当に大切なもの、価値あるもの、なくてならぬものとは。
・家族とは、命とは、幸せとは、生きるとは・・・・・・。

 といった問いに対して、心の中にいろいろな思いが生じて来ているのではないでしょ
うか。今、生かされている身として、これらをしっかり考えてみることは、とても重要なの
ではないでしょうか。

 そういう時、あなたの心に神さまの語りかけが響いてくることがあると思います。可能
なら、ぜひ聖書を手にとって読んでみて下さい。聖書とは、天地を造られた唯一の神さ
まから、あなたに向けた「ラブレター」なのです。心の中に、「ここに書いてあるのは、ど
ういう意味ですか」とか「あなたは、わたしに何を語ろうとしておられるのですか」と尋ね
るようにして、読んでみて下さい。聖書の言葉は、それを受け取ることが出来た人にと
っては、とても心強いものなのです。

 十字架の言(ことば)は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちに
は、神の力である。  
(新約聖書 コリント人への第1の手紙 第1章18節)


 イエス・キリストを個人的に受け入れている人は、
日本では人口の1%以下だそうですから、身近には居な
いかも知れません。もし居たら、ぜひ訊いてみていただき
たいと思います。「イエス・キリストって、わたしとどういう
関係があるんですか」と。
 聖書や関係書籍は、一般書店でも規模の大きいところであれば販売していますが、
質・量ともに多くないかも知れません。以下の書店では、キリスト教関係書籍を重点的
に扱っています。一度訪ねてみてはいかがでしょうか(それぞれ、オンラインの通販も
あります。)そして神さまからの語りかけに耳を傾けていただき、大切なものを掴んでい
ただきたいと思います。

ライフセンター札幌書店 札幌市中央区北2条西3丁目タケサトビル3F
011-241-3074
CLC札幌書店 札幌市中央区南1条西3丁目 大丸藤井セントラル4F
011-261-9551


[祈ってみましょう]

 天地を創造した唯一の神さま。今回の災害を通じて、心が激しく揺さぶられました。安
心・平安が失われました。どうかわたしをかえりみて下さい。本当に大切なものに目を
向けさせて下さい。聖書の言葉を通じて、神さまの愛を知ることが出来るように助けて
下さい。また、今なお苦難の中にある方々に触れ、慰め、癒し、回復させて下さい。大
きな打撃を受けて困難の中にある日本を助けて下さい。イエス・キリストによる本当の
回復を見ることができるように助けて下さい。
 イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。

 
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2011年3月



 たいへん大きな地震がありました。あま
りにも巨大で、被害の全貌がなかなか把握
しきれないようです。北海道内もかなり揺れ
、地下鉄が止まり飛行機が欠航し津波が押
し寄せ、少なからぬ被害が出ているようで
す。被災した方々にお見舞い申し上げま
すとともに、被害が少しでも抑えられ回復が
もたらされるようお祈り申し上げます。
 何が起こるかわかりません

 巨大地震も、直前までは誰にもわかりません。緊急地震速報が
整備されていても、地震そのものをとどめることはできません。現在
平穏でも、地震のほか台風、雷、洪水、火事、事故、病気など、明
日がどうなるのか、正確にはわかりません。ある日突然これらの出
来事に遭遇することも、あり得るのです。
 聖書には、次のようなたとえ話が書かれています。

 そこで一つの譬を語られた、「ある金持の畑が豊作であった。そこで彼は心の中で
『どうしようか、わたしの作物をしまっておく所がないのだが』と思いめぐらして言った、
『こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、そこに穀物や食糧を全
部しまい込もう。そして自分の魂に言おう。たましいよ、おまえには長年分の食糧がた
くさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ』。
 すると神が彼に言われた、『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られる
であろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。自分のために
宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである」。
                      
(新約聖書 ルカによる福音書 第12章16〜21節)


 満ち足りた状況にあったとしても、それが必ず明日を保証してくれるとは限りません。
平穏に一生を送ることが出来れば幸いですが、しかしそれでも人生には必ず終わりの
日があります。その時、その人の生き方が問われることになります。
万全の備えを

 地震に備えて住居の耐震補強をしたり、火災に備えて消火器具を用意したり、災害
に対してはある程度の備えをすることができます。しかし今回のように、人間的な努力
ではどうしようもない事態が起こることもあります。そのような事態に対して、あなたの
『備え』は、果たして万全なものでしょうか。


 この人による以外に救はない。   (新約聖書 使徒行伝 第4章12節)

 『この人」とは、イエス・キリストを指しています。イエス・キリストを知ることが、根本
的な『備え」であると聖書には書かれています。『救い』とは、善行を積んだり、教会に
行ったり、献金をしたり、断食をしたり、という「行い」によってもたらされるものではあり
ません。あなた自身の信じようという「決心」(「信仰」と呼びます)によって与えられるも
のです。どうか、神さまに向かって、個人的に語りかけてみて下さい(それを「祈り」と呼
びます)。あなた自身の永遠にかかわる、とても大切なことです。

 わたしに呼び求めよ。そうすれば、わたしはあなたに答える。そしてあなたの知らな
い大きな隠されている事を、あなたに示す。
(旧約聖書 エレミヤ書 第33章3節)


 人知ではとうてい測り知ることの出来ない事柄は、確かにあります。けれども、その
「隠されていること」を示すことのできる方がおられます。「呼び求めよ」と言われるその
方に、どうぞ祈ってみて下さい。そして、救いを得て下さい。

[祈ってみましょう]

 天地を創造した唯一の神さま、今日本に降りかかっている災害か
らこの国をお助け下さい。困難な中にある方には力を、苦しみの中
にある方には希望を、悲しみの中にある方には慰めを注いで下さい。
そしてわたし自身がイエス・キリストの救いを知り、あらゆる事柄に対する
天からの備えを持つことができるように助けて下さい。
イエス・キリストの名によってお祈りいたします。

 
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2011年2月



 毎年2月が近づくと、街中にチョコレート
製品が目立つようになります。「愛」につい
ては文学や演劇、音楽などを通じていつの
時代でも語られてきました。あなたは今、愛
する人と良い関係を築くことができています
か。
 聖書が語る愛とは
 ところで聖書が語る「愛」は、一般に使われる「愛」という言葉のイメージとは少し違っ
ています。「好き」だという感情にとどまらない、「意志」とか「決意」に近いものです。チ
ャペルで結婚式を挙げる場合、次の聖書の言葉が引用されることも多いと思います。

 愛は寛容であり、愛は情け深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、
誇らない。無作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、
恨みをいだかない。不義を喜ばないで真理を喜ぶ。そして、すべてを忍び、
すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。愛はいつまで絶えることがない。
                      
(コリント人への第1の手紙 第13章4〜8節)


 愛は、「いつまでも絶えることがない」ものなのです。いつしかな
くなってしまうものは、聖書が語るところの「愛」ではありません。
夫婦間の愛
 神さまは、男女が結婚によって結ばれ愛し合い家庭を築くように人間を造られました。
好きだから結婚し、嫌いになったら離婚する、そういうあっさりしたものではなく、
「生涯愛し続けていく」という決意を持って維持し続けていくべきものが「結婚」です。
 家庭における夫の役割は重要で、聖書には次のように書かれています。


 夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を
愛しなさい。           
(エペソ人への手紙 第5章25節)


 「キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように」とはつまり、「命懸
けで」ということです。たとい自分の命と引き換えになったとしても、全力で妻を愛しなさ
い、と書かれています。「愛」がどういうものであるか、コリント人への手紙第13章など
に詳しく書かれていますのでぜひ聖書を開いて読んでみて下さい。(エペソ人への手紙
には妻がすべきことについても書かれています。)
イエス・キリストによって
 そんなすごい「愛」は、とても持つことができない・・・・・・。そう思われる方もおられるで
しょう。そしてそれは正解です。人間は、自分自身の力によっては本当の「愛」を得るこ
とができません。

 愛は、神から出たものなのである。(ヨハネの第1の手紙 第4章7節)

 本当の愛は、その源である神さまからいただくしかないものです。(ただし、どの「神
様」でも良いのではありません。愛の根源である、「天地を造られた唯一の神さま」から
しか、いただくことができません。)神さまから愛をたくさん受け取ることで、他の人々
を(そして自分自身をも)真実に愛することができるように変えられます。そのために修
業も金銭も必要ありません。ただ、神さまに求めましょう。そうすれば、与えられます。
あなたが愛に満ちた人生を送ること・・・・・・それが、神さまにとって喜びなのですから。

[祈ってみましょう]

 天地を創造した唯一の神さま、わたしに愛を注いで下さい。
隣人を、家族を、妻(夫)を真実に愛することができる愛をわた
しの心に満たして下さい。イエス・キリストの命懸けの愛を理解
することができるようにして下さい。イエス・キリストのお名前に
よってお祈りいたします。

 
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2011年1月



新年を迎えて

 西暦2011年、平成23年になりました。ど
のような新年をお迎えでしょうか。新たな目
標を立てて進む方、昨年来の課題を抱えて
奮闘中の方、先行き不安の方もおられるで
しょうか。
 困ったときには
 景気が低迷していると、初詣の人出が増えるといいます。誠実な必要性から「神頼
み」せずにはおられない、そういう状況も垣間見えます。受験や就職、身内の方の病気、
会社の資金繰り、人間関係など、「神様に頼りたい」ことはたくさんあることと思います。
人間の努力だけではどうしようもない「何か」を求める気持ちは、人間に元々備わって
いるのですね。
ちょっと立ち止まって考えてみるのも
 人に何事かをお願いする時、相手を選びますね。誰でも良い、ということは少ないの
ではないでしょうか。重い荷物を運ぶとき、金銭的困難の時、勉強を見てもらう時など、
「頼れる相手」を選ぶはずです。「家内安全」「商売繁盛」「学業成就」「安産祈願」など、
神社仏閣によって祭神やご利益に違いがあるようですね。それぞれ「お参りに」行った
先は「頼りがいのある」神様なのでしょうか。道内で最も多く参拝
客があるという北海道神宮には四柱の祭神が祀られていますが、
どういう神様で、どんな力があるのでしょうか。ちょっと立ち止まっ
て考えてみるのも良いのではないでしょうか。
求めるなら、与えられる
 「聖書」には、この世の「本当の神さま」について書いてあります。過去の偉人や動物、
木、石、刀剣、鏡などを祀ったものではありません。人間の想像によって生み出された
ものでもありません。ある特定の地域、民族、時代にのみ知られていたようなものでも
ありません。聖書に示されている神さまは、天地万物を創り上げ、宇宙の始めから未
来に至るまで絶対的な意志と力を持つ人格(神格、ですね)を持つ存在であると書かれ
ています。この神さまは、とても「頼りがいのある」方です。

 求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門
をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
(マタイによる福音書 第7章7節)


 厳しい修行も多額の寄付も必死の勉強も必要ありません。ただ「信じること」「信頼す
ること」によって、あなたは神さまに応えていただくことができます。何か証拠があるで
しょうか?天地万物が存在していることがその証となります。

 宇宙や自然のしくみや法則を詳しく学べば学ぶほど、いかに精巧に絶妙なバランス
を保った状態で造られたものであるか思い知らされることでしょう。「自然に」出来上が
ったと考えるにはあまりにも良く出来すぎています。それだけの力があるから、あなた
の願いに応えることも出来るのです。

 あなたは、何のために生きているのでしょうか?あなたの本当の「生きる目的」を
知っているのは、あなたを生かしている「唯一の神さま」だけです。神さまを知り、イエ
ス・キリストを知り、聖書の言葉を知るときに、あなたは自分自身の生きる意味、目的を
知り、豊かで意味のある人生へ踏み出すことが出来ます。
イエス・キリストによって
 人間は想像に任せて自然界の事物や偉人などを勝手に「神」として祀り拝んできまし
た。本物の神さまを無視して、神ならぬ存在に信頼してしまいました。そうして神の直接
介入が少ない成り行き任せの歩みを続けた結果、様々な困難に直面することとなって
しまいました。聖書ではそのような状態を『罪』と呼びます。この罪は、イエス・キリスト
が身代わりに十字架刑を受けて死んだことを信じることによってのみゆるされると定め
られています。書店で聖書を買ってご自分で読まれても良いでし
ょうし、教会に足を運んでお話を聴いてみてもよいでしょう。あな
たが求めるなら、あなたを愛しておられる神さまは、必ず答えて
下さり理解に導いて下さることでしょう。

[祈ってみましょう]

 神さま、どうかわたしに答えて下さい。わたしには「・・・(それぞれの課題)・・・」という問
題があります。けれども、天地を造られた本当の神さまでしたら解決できると読みまし
た。どうぞ、解決を与えて下さい。わたしの身代わりに死んで下さったイエス・キリスト
のことを知り、救いを受け、喜びと希望を持つことができるようにして下さい。

 
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